最近、「薄暮」「天気の子」「海獣の子供」...と、聖地巡礼したくなるアニメを立て続けに見たので、自分の中で聖地巡礼モチベが上がってきてるのを感じます。
一方で、最近そういう聖地巡礼欲を掻き立てるアニメが多いこと、そして、聖地巡礼の先でいろいろとファンがやらかすトラブルが起きているのを思うと、憂鬱な気分になります。
そこで、今回はこんなテーマで書いていきたいと思います。
聖地巡礼ってなんのためにするのか?
聖地巡礼者はどうあるべきか?
聖地巡礼ってなんのためにするのか?
思い返してみれば、自分の中で思い出せる最初の聖地巡礼といえば、「らき☆すた」の鷲宮神社と、そして「東のエデン」の豊洲です。
当時としては、単純に「劇中に出てきたから」という理由で訪問したり、あるいは写真を撮ってました。
当時の自分は純粋でした。
それはそれでいいと思います。
さて、それから10年近く経った今。
自分の中で聖地巡礼するときに、何が一番楽しいのか?を考えてみると、それは「『実際にそこにキャラクターがいたとしたら、どんなふうに生きているのだろうか?』と想像すること」です。
何を感じて日々生きているのか?
画面外ではどんなことをして過ごしてるのか?
物語が始まるまでは、どんな風に生きてきたのか?
いずれも共通してるのは、物語に映る以外の場面でどうしているのか?ということなんですね。
なので、聖地巡礼の中で一番楽しいのは、キャラクターが実際に生活してる場所です。
劇中で映った場所以外をいくのも楽しいです。
最近行った場所で当てはまるのは、
...あたりでしょうか。
例えば、「天気の子」では新宿や東京タワーのふもとなど、あちこち出てきます。
しかし、それらの場所は劇中のキャラにとっても非日常なんですよね。
もちろん、そういう場所を見て回る楽しさがあるのはわたしも同意ですし、実際わたしも行きます。
...が、でも本当に楽しい場所は?と考えると、やはり陽菜の家がある田端と、帆高が暮らしていた神津島なんです。
画面の外では、キャラクターはどんなふうに生きているのか?を想像する。
そういったように、一段上の聖地巡礼を楽しんでみてはいかがでしょうか。
聖地巡礼者はどうあるべきか?
さて、それを踏まえ、聖地巡礼者はどうあるべきか?
我々にとっては非日常の空間ですが、劇中のキャラクターも含めて、そこに住んでいる人々にとっては日常です。
言うまでもないことですが、その日常を害するような行為は避けるべきです。
この手の話題で真っ先に話題に上がるのが、ラブライバーだと思います。
先日も、Twitterで沼津の仲見世通りに寝そべり(ぬいぐるみ)を並べて写真を撮っている様子がアップされてました。
この異常性に気付くべきなのに、しょっちゅうこの手の話題があがる。
例えば、ディズニーのキャラクターのぬいぐるみをディズニーランドで撮っているのであれば、何も問題ない。
しかし、それを一般の往来がある商店街でやるのは、やはり異常なんです。
ここで、「ラブライバーにとってはアキバや沼津がディズニーのそれ」だとか、「ディズニーにはディズニーランドがあるが、ラブライブにはない」みたいな反論は受け付けられません。
自分が何を言ってるのか、今一度見直した方がいいと思います。
「近くに喫煙所がないんだから、外でタバコ吸っても問題ない」と言ってる喫煙者と何も変わりません。
そういった行為の結果、喫煙者の肩身が狭くなる一方なのは、明らかです。
ラブライバーも、いずれはそのように現実的に影響がある形で、世間の流れが生まれても仕方がありません。
まだ、各自に自重するよう委ねられてる今の段階で、さっさとやめるべきです。
なお、「自分は違う、寝そべりなんか外で置いてない!」と思っても、今の自分の行動が、他の一般人がやっていることかどうか見直すべきです。
まずはその自覚を持つことが第一歩です。
自分の知り合いにも「テラジャンボ寝そべりを背負って歩くとかバカ」と言ってる人が、ファミリーレストランで寝そべりを並べて写真を撮っていた...などということがありました。
そう、自分では自覚がないんです。
それが怖いところ。
だからこそ、常に「自分の行為が一般人にとって異常でないか?」を常に頭においておく必要があるんです。
まとめ
というわけで、今回はここまで。
前半は、単純に聖地にいってきましたーという投稿がかなり目立つので、いやいや聖地巡礼の楽しさはそこに留まらないでしょ、という話でした。
後半は、もうどこでも言われてることなんですが、まだまだ浸透してないなと思います。
多少ベクトルは違うと思うものの、ラブライバーやひいてはオタクが、タバコ喫煙者のような肩身の狭い扱いにならないように期待したいものです。