ふえんわーくすらいふろぐ

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12年目にして社会人生活を振り返る、その3。

 

前回まで:

12年目にして社会人生活を振り返る、その1。 - ふえんわーくすらいふろぐ

12年目にして社会人生活を振り返る、その2。 - ふえんわーくすらいふろぐ

 

前回までの続き。

 

4年目(2016年度)~5年目(2017年度)

3年目~8年目は仕事面ではあまり大きな変化はなかった...仕事の環境にイラついたり、思ったほど仕事の成果が出せなかったりはしたが...のだが。

4年目(2016年)のときにはプライベートのことでかなり大きな変化があった。

引っ越しで実家に戻ったのだ。

 

なぜかというと、会社の福利厚生で住んでいた会社借り上げの寮費が大幅に上がることになったためだ。

学生時代が長く、かなり多額の奨学金という名の借金を抱えており、それでいてまだまだ若手でそんなに成果も残せてなかったので給与も大して上がってなかった自分には、あまりに大きすぎる月額出費になる見込みだった。

ので、引っ越したくて引っ越したというより、やむにやまれない経済的事情によるものだった。

 

まぁ今思えばこれはいい面もあったが悪い面のほうが大きい選択だった。

会社寮から出るのは仕方がない、問題は実家に戻ることだった。

問題の詳細はこのあと書くとして、実家に戻る以外の選択肢を真剣に考えるべきだった。

※実際、今は会社の福利厚生を使用してかなり家賃出費を数千円に抑えつつ、かなり平穏に暮らせている

 

さて、実家に戻ったことでの最大の問題は父親だった。

実はこの数年前に両親は離婚しており、実家には父親がひとりで住んでいた。

学生時代から父親とはいっしょにいたくないなと思っていたが、それは自分がまだまだ子供だったからかもしれない、とも思っていた。

だから社会人として生きている今なら、父親ともうまくやれるかもしれない、と考えていたからだ。

 

結論から言えばこれはまったくの幻想であり、学生時代と問題構造は変わってなかったし、やはり父親はかなり問題のある人物だったと改めて確信した。

ちなみに実家に戻ってよかったことというのは、この3点である。

  • 父親が問題のある人物だと改めて確信できたこと
  • どこに問題があるのかきちんと言語化できたこと
  • 結果的に父親とほぼ断交できたこと

 

父親のどこに問題があるのか...ということを公の場で語るようなことは...いろんな意味であまりしたくはないが、とはいえ自戒として書き残しておく必要もあるかも、とは思うので、もしかしたらどこかで書くかもしれない。

ともかく、今大事なのは父親との関係がまったくうまくいかなかったことと、そのことで仕事への影響もかなり出たことである。

 

具体的に言ってしまうと、父親との関係がうまくいかなかったので基本家におらず、睡眠時間も削られたことで会社を休んだり、仕事中に寝てしまったり、遅刻することがかなり増えた。

仕事がうまく行ってなかったことや仕事の環境にイラついてたことでストレスもかなり溜まった。

 

家にいれず、どこか置いてくれる友達のアテもなかったので、基本的に外の飲食店で過ごすことが多かった。

外食も多かった。

ただでさえ給与が低かったのに、休みや遅刻が増えたことで減給もされた。

奨学金という借金で追い込まれてるにも関わらず、だ。

 

この経済的危機は本当に苦しくて、出費も減らせないし収入もそう簡単には増やせないし...でかなり長い期間、自分を苦しめた。

※ちなみに最終的には10年目に収入を倍増させたことで解決した、これは後々書く

 

5年目(2017年)の12月にはうつ病も発症し、休職することになった。

もう限界だということで、「どんなに経済的に今より苦境になろうが父親がいるよりはマシ」ということで、実家を出ることにした。

このころになると、家に帰るたびに父親の部屋の明かりがついていないことや車がないこと(つまり寝てるか帰宅してないこと)を祈るまでになっており、正直に言うと父親を○すシミュレーションまでしていたので、本当に末期だったと思う。

※実際問題、このときの人生がうまくいってないことの体感70%は父親のせいだったと言っても過言じゃない

 

うつ病の診断書を見せて「実家を出る」と父親に告げたときのことはまだよく覚えている。

父親は渡された診断書を一読すると、書類をオレに投げつててきた。

母親も同じようにうつ病を診断され離婚したので、それがフラッシュバックしたのかもしれない。

気の毒だとは思うが同情の余地はない。

すべて父親自身の業、身から出た錆、振る舞いの結果なのだ。

2度同じことが起きたことを持って、なにが問題だったのかきちんと振り返るべきだ。

そして変わらないのであれば、オレと無関係なところで生きてほしい。

※オレにももちろん問題はあったが、だからといってそれは理由にはならない

 

3月には引っ越しをし、家を出た。

ちなみに引っ越しは可能な限り荷物を減らし、実家にほぼ物を残すことなく、家電は家に余ってたものを持っていき、荷物運びはすべて自分と母親の2人でやった。

ちょうどミニマリストにハマり始めた時期だったこともあって、だいぶ少なかった。

2tトラックをレンタルして高速道路を移動しただけなので、引越し費用全体で3万円くらいだったんじゃないだろうか。

 

引っ越しが決まって以降はだいぶ気が楽になってた。

やはり実家に戻ったのが間違いだったんだ、と改めて思った。

 

だいぶながくなったけどまた次回。