先日、祖母の一周忌に参加して、なんとなく祖母のことを思い出していた。
これまでにいくつもの法事に参加してきた訳だけど、昔は法事の最中といえば、他のことを考えてたり、終わったあとのことばかり考えていた。
今思うとなかなか不敬な話だ。
故人のことを思い出すことなど普段はないわけで、法事はその絶好の機会とも言えるのだから。
とはいえ、それはそれで仕方がないことだとも思う。
なぜかといえば、年端もいかない頃に死別した人との思い出など、語れるほどないか...あるいは記憶にないからだ。
今の自分には、父方の祖父母との記憶や、母方の曽祖母との思い出は...ないわけではないが、というレベル。
そんな中、昨年、母方の祖母が亡くなった。
身内から故人が出るのは中学生か高校生以来、10年以上ぶり。
これまでとは印象がまるで違う。
さて、ではそんな祖母との思い出の中で一番印象に残ってることといえば、ペヤングソース焼きそばである。
そもそも、ペヤングソース焼きそばの存在自体を知ったのが、祖母からである。
理由は知らないが、祖母の家にあってそこで初めて食べたのだ...と思う。
祖母もそれを知ったか気付いたかで、祖母の家にはいつもペヤングソース焼きそばが置いてあった。
たまに祖母の家に泊まりに行っていたが、その度に食べていたような気がする。
それが小学生の頃。
中学、高校、社会人になって、いつしかあまりペヤングソース焼きそばを食べなくなった。
嫌いになったわけじゃない。
ただ、あまりに食べ過ぎたのだろう、新しい味を求めるようにカップ麺やカップ焼きそばをあれこれ食べるようになったのだ。
そんな中、昨年に祖母は亡くなった。
前々から体が弱っていたし、近いうちにその時は来ると分かっていた。
もちろん悲しいが、涙は出なかった。
わたしは人との死別では泣かない人間なんだろう、と薄々自分でも感づいてはいるが。。。
それとは別に、祖母との死別以来、祖母のことを時々思い出すようになった。
これはこれまで死別した人々とは違っていた。
やはり、一緒に過ごした時が長いからかもしれない。
いっしょに行った場所、食べたもの、祖母が作ってくれたもの、話したこと、その姿。
あれこれ思い出すが、中でも一番印象にあるのが、やはりペヤングソース焼きそばだったのだ。
だからか、祖母が亡くなって以来、明らかにペヤングソース焼きそばを食べる頻度は上がった。
例の騒動以来、微妙に食感と味は変わってしまったのが悔やまれるが...やはりペヤングはペヤングだ。
食べると祖母のことを思い出せる。
普通は祖母の味というと、作ってくれた料理やその味を真っ先に思い出すのかもしれない。
血が通ってないとか、一般流通の商品が思い出ということに違和感がないでもない。
...が、これのいいところは、いつでもその味を堪能できることだ。
お店で買って食べれば、いつでも祖母を思い出すことができる。
一番印象に残ってるのがペヤングだと、そんなことを祖母に話したなら、祖母はなんと言うだろうか。
あの祖母だから、冗談だと思って笑ってくれるかもしれない。
わたしは大マジメに言っているのだが。
そんなことを考えながら、そいえばこの前食べてしまったんだっけと思い、今日にでもまたペヤングソース焼きそばを買いに行くことに決めたのだった。