もはやネタ的に少し古い面があるものの...まぁせっかく書いたんで、公開することにします。
先日、山田優さんが地震直後にInstagramをいつもどおり更新していたことに対して、批判をよせたひとたちがいたもようです。
さすがに「おかしい」「かわいそう」という意見があつまっていたので安心しました。
それにしても、なぜ「不謹慎です」だとかコメントする人がいるのでしょうか?
「言葉狩り」が趣味?
つまり、「相手の言葉の揚げ足を取るのが好き」な人たちです。
めんどくさい人たちですね...わたしはお付き合いしたくありません。
「地震直後に、無関係の人たちが通常通りでいること」に対し、不満がある?
つまり、「自分が不幸せなのに、目に見えるあいつが幸せそうにしてるのが気に入らない」人たちです。
うっとうしい人たちですね...わたしはお付き合いしたくありません。
やたらと正義感を振り回す?
つまり、「自分は違うけど、きっと嫌な思いをする人もいるだろう。わたしが言って止めないとな。ああ、わたしってなんて正義感があるんだろう!」って人たちです。
おせっかいがすぎる人たちですね...わたしはお付き合いしたくありません。
本来の意味での確信犯みたいな印象を受けますね。
つまるところ、いずれについても「自分の気持ちを晴らす」ことを目的にしているという点について、共通したものを見て取れます。
他人を利用して自分のうっぷんを晴らすというのは、はたから見てて気分がいいものではないですし、社会的に見ても正しい行動ではないです。
健全だとは到底思えません。
ほかの方法でうっぷんを晴らすことを考え直すべきはずです。
そもそもネット上のツイートも写真も投稿も文章も、見たくないのであればそっと閉じるか、あるいはそのユーザーをブロックするのがお作法ですし、そうすべきことです。
上記に書いた人たちも、そういうことを当たり前にやっているはずです。
なのに、なぜその投稿主に突撃してしまうのでしょうか。
これだけ書いてきましたが、やはり解せません。
そういうことをやっているorやっていた人がいるなら、ぜひ話をお伺いしたいところです。
自分の知らないところでのうのうと存在してることが許せないのでしょうか?
自分の気に入らないものの存在を許さないなんて、どれだけ俺様根性が座ってるんでしょうね。
そもそも、気に入らないものを目に入れたくないのでしょうか?
気に入らないものを絶対見たくないなんて、どれだけ世間知らずなんでしょうね。
どちらにしても、わたしがそういうのを見て思うのは「バカバカしいな。放っておけばいいのに。よほどヒマな人たちなんだな」ということです。
そんなことするよりも、「今日の夕食を何にして、どこで調達してきて、いくら金額を抑えられるか」のほうがよほど大事です。
いっぽうで、個人的に危惧しているのは、これが横行することで、なんでもない投稿をしようとしたときに「これはツイートしないほうがいいのかもしれない」などと不要なブレーキや気遣いを生んでしまうことです。
もちろん、本当にしないほうがいい投稿はいくらでもあります。
しかし、そうでない投稿(「これおいしかった」みたいなの)まで、そんなことする必要はまったくありません。
なんでネット上の見ず知らずの人たちにまで気を遣う必要があるのでしょうか?
実際にはネット上の総意としての空気を読む必要があったり、これは炎上しそうor大丈夫などの判断が必要であるとか、あるいは立場や人間関係などの状況が変わることで、同じ内容でも(当然ながら)受け取られ方がまったく変わってきます。
その辺の分別をつけられるかどうかもある意味スキルなのかもしれません。
とはいえ、やはり上記に書いたような人たちはネットでは害悪でしかないと思うので、人の振り見て我が振り直せを日々忠実にこなしていきたいところです。