長年言われ続けているテーマのひとつ。
「オタクはどこからオタクとなるのか?」
はじめに
これまで何度か書いているように、わたしはオタクです。
かれこれ18年くらいやってます。
わたしは、わたしがオタクであると思っているし、まわりの人にも「オタクだよね」というような扱いをされます。
では、オタクとはなにか?
辞書的な定義を確認しましょう。
「おたくとは何か」という定義は、未だに確立していない。
その時々により、また論者によりその言葉が意味するものが一定ではない。
俗には、萌えや秋葉系といったキーワードと強く結び付けられることがある。
辞書的には、ある趣味・事物には深い関心をもつが、他分野の知識や社会性に欠けている人物として説明される。
つまり、オタクとはなにをもってオタクとなるのか?はひとそれぞれ違っている、というのが実態であるということです。
わたしもその意見には同意ですし、実際それでまかり通ってると思います。
しかし、この考えで行くといわゆるオタクコンテンツ以外にも当てはまると思います。
世の中にはファッションオタクや自転車オタクだっているのです。
普通にオタクかどうか...と考える時、その辺りは考慮にいれず、あくまでオタクコンテンツに関してのみ、論点にしないでしょうか?
ということで、今回わたしはその先を考えています。
どういうことかというと、自らオタクを名乗っている方々は、何かしらの根拠をもとに自分はオタクだと名乗っているはずです。
では、その根拠とはなにか...を数多く集めれば、それって実態的な意味でオタクだと判断できるポイントになるんじゃないか?と。
わたしが考える「ここからオタク」
わたしは13歳のときにオタクに染まり始めたと認識しています。
その根拠は、スパロボに出てくるアニメを観たり、そのアニメの設定に興味を持ちあれこれ調べるようになったこと、です。
当時スーパーロボット大戦Aというゲームが発売されました。
わたしはそのゲームに衝撃を受けて、出てくるロボットをあれこれひとに聞いたり、調べたりするようになりました。
中でも「機動戦艦ナデシコ」はめちゃくちゃハマりました。
アニメを全話友達に借りて観るのは当たり前、それをビデオにダビングして繰り返し観てました。
そのうえ、設定を調べたり考察したり、グッズ買ったり、ヒロインのホシノ・ルリに本気で恋をしてたり...。
話が脱線しましたが、つまりわたしの根拠はこうです。
「単にアニメetcのコンテンツを観るだけじゃなく、その設定を調べたり考察したり、グッズを買ったりするようになったらオタク」
※ワンピースなんかでもそれやったらオタクって言えんの?っていうツッコミは、ここでは一旦保留とします。
世間で言われている「ここからオタク」
さて、世間では「どこからオタク」だと判断されるのでしょうか?
やはりみんな気になるようで、検索候補にも出てきます。
どうでもいいですが、「オタク 努力しない」「どこからお金持ち」とか、気になる候補がありますね...。
「オタク どこから」で検索した結果のページを、上から順番に見ていきましょう。
内容で好き嫌いの判断をしているのではなく、メディア体系や人物で好きになってる場合はオタクでしょう。
たとえば、
「アニメならば見る、アニメだけは見る」(メディア体系での判断)「○○さんが出ているから見る」(人物での判断)
・・・は、いかにもオタクですが、
内容そのものが自分的に面白くてアニメを見ている場合はオタクとは思えません。
アニメというコンテンツ、声優などの人物を意識して観る人間はオタク。
一理ある気がします。
ただ、これはアニメに関してしか当てはめることはできません。
オタクかオタクじゃないかの境界線が見出せないので職場のオタク(男)に「これ始めたらオタクだなーって思うことある?」って聞いたら
「深夜アニメをリアタイし始めたら、ですかね……」
と言われて超納得しました。
ここではアニメ・マンガ縛りでのはなし。
深夜アニメをリアルタイムで観るようになったら...まぁ分からないでもない。
けど、この定義でいくとわたしはオタクではなくなってしまいます。
アニメをリアルタイムで観るの、めんどくさい。
わたしは前クール以前のアニメをネット配信でイッキ見するのが好きです。
他人の事は置いておいて自分のことを判断するのであれば、自分がオタクだと思えばそれでいいんじゃないですかね。
それをネタに他の人と仲良くなれることもありますし…それを引け目に思う事はないはず。
これは最初に書きましたね。
それは分かってるよって。
ある話題になると、いつもはおとなしい人間が、急に能弁になってそれに関する知識や情報を喋り出す人がいます。
(中略)
能弁になった人は一方的に喋りまくるのです。
聞いていないことまで、ありったけの情報を教えて、自分がこの件では一番知識があるとアピールするのです。
しかも、誰かが途中で質問したリ口をはさむ余地を作らないのです。
アピール中は、誰にも口を挟ませることを許さないのです。
その話にはまったく興味がない人にも、延々とアピールをし続けるのです。
興味のない人にとっては、聞いているのが苦痛に感じてしまいます。
このような人間がオタクの特徴なのです。
それと、オタクの知識は非常に偏ったものに興味があるようです。
マニアの延長線上にオタクがあると思います。
どんなものに興味を持っているかを伺うと、オタクかどうかが分かるはずです。
普通の人が、そんなことに興味があるのですかと引いてしまうような人は、間違いなくオタクと言えるでしょう。
これは人物的な特徴からみて、オタクとはこういう人物像だ、と書いています。
しかし、これはオタクかどうかの尺度ではなく、コミュニケーション能力の有無を書いているだけだと感じます。
確かにオタクと呼ばれる人たちに、コミュニケーション能力が欠如している傾向が見られるのは事実です。
けれども、だからってコミュニケーション能力があればオタクではないのか...ということを考えれば、違和感があります。
そもそも比べる杓子定規が間違っていると言わざるを得ません。
また、「普通の人が引くほどのジャンルに興味があるとオタク」と書かれてますが、アニメに関して言えば、好きだからって引かれるものではない時代になった...とわたしは感じます。
つまり。このウェブページはそもそも的を射ていません。
「趣味に夢中で身なりを気にしなくなる」
「趣味に給料の大部分をつぎ込む」
「アイドルの同じCDを何枚も何枚も買う」
「グッズとか金をつぎ込んでしまったらオタクだと思う。
私はアニメ観るだけだからオタクとは言えない。」「生活費を削ってまで貢ぐようになったらオタク」
どれも「あーあるある」って 感じますね。
しかし、どれもオタクコンテンツ以外にも当てはまるか、オタクコンテンツのなかでも一部のみ当てはまるか...という印象を受けます。
結局、一般的な「ここからオタク」ってどこ?
結局、
オタクコンテンツをひとくくりに論点にした「こうすればオタク」という基準はないんじゃないか
...というのが、今時点での個人的な感想です。
最初に書いたとおり、今やなんに関しても○○オタクと言ってしまう時代です。
オタクコンテンツのなかでも、ジャンルによってオタクと判断されるorできるポイントはバラバラなのかなぁ、というところです。
昔ながらのオタクコンテンツを趣味にしていると、単に「オタク」と呼ばれる傾向にあるだけ、としか言えないような。
ただ、オタクじゃない人たちから見た場合に、オタクコンテンツをあれこれする人たちに対し「オタクだ」と判断する、何かしらの基準があるような気がするので、それがひとつの解なのかなぁ、とも思えます。
そんなこんなで、今回暇つぶしに考えるのはここまでにしておきます。
もしよろしければ、あなたの意見をお聞かせください。